◎あらすじ
中世の頃。迷信が力を持つ時代。
『――夜にみだりに出歩いてはいけないよ。』
…死が身近にあった時代。
血を流して倒れる人間の側に、血を舐めるオッドアイの黒猫。
黒猫は、ふと視線に気付いたかのように、顔を上げた。
「にゃーん」
背後には、雲一つ無い紅い満月。
黒猫は立ち去る。
此処は、黒猫の棲む街。
「また、出ましたの!?」
少女が叫んだ。
「はい」
使用人は、眉根を寄せて答える。
「血を吸い尽くされ、冷たくなっているのが発見されました」
少女は悲しそうな顔で呟いた。
「また、手掛かりもなく…はぐれ吸血鬼……」
「はぐれ吸血鬼?」
青年が尋ねた。
「そうなんです。申し訳ありません。普段はもっと平和な街ですのに」
少女は俯く。
青年は、優しく声を掛けた。
「手掛かりは無いのか? こう見えても、俺は追跡者。何かの役に立つかもしれない」
「すみません、手掛かりも殆ど無く…。そう、黒猫さえ近付かないという事しか…」
「ふぎゃ!」
捕らえられた黒猫達の中、オッドアイの黒猫は隅の方で騒ぎを静かに見ていた。
(……何が、したいのだろう)
「あなた方は、最近の吸血鬼による事件について、何か知っているのでは?」
少女が、黒猫の疑問に答えるような問いを発する。その姿に、黒猫の色違いの瞳が揺れた。
『「……約束よ、……」』
懐かしい思い出を振り払うように、黒猫は頭を振った。
青年は、呆れた顔をした。
「確かに黒猫を集めてみろとは言ったが…猫が喋れるとは驚きだな」
「あら、ご存知ありませんの? 何故、黒猫や鴉が不吉の象徴なのか…。確かに猫は喋れませんわ。でも、お利口でしてよ?」
「お嬢様! 猫が一匹、いなくなっています!」
慌てた様子で駆け込んで来た使用人に、少女は妙に冷静に確認した。
「……あの子でしょう?」
「はい、あの猫ですが…」
「なら良いのです。他の猫達も、放して下さいな」
青年が何か反論する間もあればこそ、少女は指示を出し、使用人も返事をして退室する。
青年は嘆息し、眉間に寄った皺をもみほぐしながら尋ねた。
「あの猫?」
少女は笑った。
「とってもお利口さんな猫ですわ」
『……最近、暴れ回っている「夜の民」の寝床…知らないですか? 長よ』
『アンタも「夜の民」だろう? 「昼の民」の為に仲間を売るつもりかえ?』
『僕は、僕の周りの平和を崩されるのが不愉快なだけですよ。どうですか? 広場に来るあの農家の牛乳、一箱分で』
『ふん…。二箱だ』
『分かりました。では、宜しくお願いしますね』
暗闇に紛れるように立ち去る黒猫に、大きな灰猫は鼻を鳴らした。
「にゃーお」
少女の部屋の窓の外で、オッドアイの黒猫が鳴いている。
「…おい?」
青年が猫を指して少女を見る。
少女は急いで窓を開けた。
「お久しぶりですわね。お入りなさいな」
「なーご」
黒猫は喉を鳴らせたが、入っては来なかった。
ただ、はたりと、尻尾を振って、色違いの瞳で二人を見つめる。その眼差しは、誘っているかのよう。
「ついて来い、と?」
「にゃう」
黒猫は闇の中に二人を連れ出す。
行く先々に、猫達の瞳が光る。
「……これは、どういう事かね?」
街外れの空き家。吸血鬼は不快そうに唸った。
「あなたが、最近やって来た吸血鬼?」
「…そうだ。お前は、わざわざ今夜の餌になりに来たのか?」
ニヤリと笑い、伸ばした手を遮るのは鈍い輝きを放つ剣。
「悪いな…。今宵狩られるのは…お前の方だ」
――ザン…ッ!
心臓を銀の剣で貫かれた吸血鬼が、灰になる。
「……っ! …はぁ……っ」
しかし、対価無くして奇跡の力は起こせない。
青年は荒い息で、膝をつく。
「あなたの代償は…!?」
駆け寄ってきた少女に、青年は告げた。どうか祝福を、と。
――聖なるかな。聖なるかな…聖なる、かな。
まるで一種の厳粛なる儀式。
道案内をしてきた黒猫は、思案気に見ている。
「先に…帰ってくれ。俺も、落ち着いたら報酬を取りに行く」
青年の言葉を疑わず、少女は頷くときびすを返した。
少女がいなくなって、青年は再び崩れ落ちる。
「はぁっ、はぁ…っ。……ぐっ!」
狂気に陥りそうな青年の元に、黒猫が歩み寄る。
「お前も…っ、かえ……れ…っ!」
黒猫は青年の耳元で囁いた。
「――僕の血を、飲みますか?」
「……っ!!?」
「ハーフバンパイヤの貴方の本当の代償は、吸血鬼の血。なら、僕の血を、あげましょうか?」
「お前…っ! どうして…っ、それ、を…!」
黒猫は、吸血鬼と追跡者の戦いの跡を振り返った。
「貴方の『血』が、教えてくれました」
吸血された覚えなどなく、顔をしかめる青年。
「幸いにも、今僕はお腹がいっぱいなんです。貴方達、盛大に血を撒き散らして戦ってましたから」
「生き、血で…なくても……良いってか」
「生き血なんて、恐ろしくて飲めませんよ」
吸血鬼のくせに、と言い返す元気も残っていない青年に、黒猫は尋ねる。
「……で? 飲むんでしょうか?」
「………」
黒髪に左右で色の違う瞳を持つ少年が、服をはだけて首筋をさらけ出した。
青年が、ゆっくりとその細い首に牙をうずめる。
――その光景の、背徳さ。
一口飲んで飢餓を何とか抑え、二口飲んで青年は理解した。
生き血なんて怖くて飲めない、と言った吸血鬼の意味を。
『ねぇ、約束よ。貴方は生きるの。私の分も、外の世界を、見て回るのよ』
『分かるかね? このままだと……』
『僕…が……?』
『眩し…っ。これが…「夜の民」の見る世界…』
『………、リーシャ』
「記憶と感情を読み取る力、か…」
返事は無い。
「あの子…似てたな」
だから、あの吸血鬼は少女に協力したのだろう。
青年が吸血した相手の能力を一部使える期限は、三日。だが、この能力は使いたくない。精神的負担が大きすぎる。
血が新鮮であればある程、宿る感情も強くなる。生き血は、確かにあの吸血鬼にとっては毒だろう。
『約束を守ってくれたな。感心感心』
その声に、青年は思わず目を泳がせた。
見覚えのある少年を広場で見付け、こっそりと尾行た。彼は二箱もの牛乳瓶を詰めた木箱を抱え、路地裏に入っていく。そして猫の前に下ろしたら…この謎の声が聞こえたのだ。
「知ってるくせに…。僕が約束を破れない体質なのを」
『「夜の民」は、弱点を突かれると即座に灰になるからの。…にしても、お主、血を与えたのか』
「? ええ、それが?」
『あそこで客人が混乱しておるぞ』
「……え?」
少年が振り返る前に、青年は慌ててその場を離れる。
やがて、路地裏から二匹の猫が出てきた。そのうちの片方は、オッドアイの黒猫だった。